こんな感じのライフスタイル

ギター、DTM、筋トレ、読書…等々さまざまなことに取り組んでいる多趣味系男子

自分は変化し続ける。そして変化に気づける。

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自分の変化についての記事が多くて思ったこと

俺はこのブログで

「昔の俺は××だったけど、今は◯◯だ。」

という内容の記事をよく書く。

つまり、自分に起こった変化についての記事をよく書いている。

↓最近だったらこれとか。

www.kontaku-gtdr.com

www.kontaku-gtdr.com

そういう記事が多いから、読者の皆さんは

「いくらなんでも変わりすぎじゃない?」

と、思うかもしれない。

ありえないとは思うが、もしかすると「自分の事を良く見せたくて嘘書いているんじゃなか?」と思っている読者もいるかもしれない(ただ、これは半分冗談)。

 

自分でも時折、「自分は無意識のうちに嘘をついているんじゃないか?」と考えることがある。

 

しかし自問自答しても、別に嘘を書いているつもりはない。

良くも悪くも、等身大の自分をこのブログで表現しているつもりだ。

 

けどやっぱり変化した点が多くて不自然?

けど、やっぱり「自分はこう変化した」みたいな記事が多いと、不自然な気がしてならない。

そういうことで若干モヤモヤしたので自分なりに色々考えてみた。

すると、仮説が2つ思い浮かんだ。

 

①自分は日々変化し続ける存在?

そもそも、自分は日々変化し続ける存在なのだという仮説がまず1つ目。

 

 

生きていたら、自分の考えを変えるようなキッカケに頻繁に出会う。例えばニュースとか本とか友達の発言とか。

そういうキッカケがありふれているのだから、変わらずにはいられない。

 

というか、人間は良くも悪くも周りの影響を受けやすい動物だ。

だから、自分の考えも周りに影響によって変わることがあってもおかしくはない。

というわけで、日々自分に起こる変化は多くて当たり前だと思う。

 

②自分の変化に気づけている?

自分に起こる変化に気づけるようになったというのが2つ目の仮説だ。

逆に、実際に自分に変化が起こっていたとしても自分自身がそれに気がつかなければ、「自分は変化していないんだ」と勘違いすることになる。

だけど、自分自身の変化に気づけているのであれば、「自分は変化しているんだ」と考えることができるし、自分がどう変化したのかについても理解できる。

だからこそ、自分の変化について記事にすることができるのだ。

 

そもそもブログを書くようになって以来、何故だか自分自身に対して向き合うことが増えた気がする。

きっと、エッセイの記事を中心に書いているからだろう(というか、エッセイを書きたくてブログを始めたというのも、俺がブログを始めた理由の一つ)。

 

というわけで、自分についての変化が多いと感じるのは、自分自身の変化に自分がちゃんと気づけているからだと思う。

 

最後に

あくまで今は仮説の段階だが、何故自分についての変化が多いように感じるかの理由は、

①自分は日々変化し続ける存在だから。

②自分の変化に気づけているから。

 

この2つだ。

特に、②は個人的に重要だと思っている。

自分の変化に気づけるおかげで、例えば自分が成長した時に「自分、成長している!やった!」と、自己肯定感を高めることもできるし、

逆に、自分が悪い意味で変わってしまったとしても「あ、ヤバい!気をつけなきゃ!」と、自分の悪いところを直そうとも思える。

 

これからも、自分の変化を見つめていこう。