こんな感じのライフスタイル

男子大学生による雑記ブログ。主にエッセイを書いていきます。

結局のところ、誰もが愛される存在だと思う。

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今日は「愛される」について書いていこうと思います。

 

まず最初に結論を述べると、

「愛される」って無条件のものじゃなかな?と思うんですよね。

 

 

どのくらい愛されているか?という程度の問題はありますが…

究極的には、結局は誰もが無条件で愛されるように世の中は作られているんじゃないかと思います。

愛されるために頑張る人

 

誰かに愛されたい

 

このような感情を持つのは当たり前のことです。

そして、愛されると嬉しいですよね(例外もありますが)。

 

そして、その欲求を実現したくて

 

愛想よくふるまったり

気が利く人を目指したり

見た目に気をつけたり

 

そうやって頑張る人がいます。

 

しかし、そういうことをしても、必ずしも誰かから愛されるわけではないですよね。

逆に例えば、「勉強できるからっていい気になりやがって」と言われることあるかもしれない。。。

 

それで

「じゃあどうすればいいんだ!」

と憤って更にあれこれやる。

その繰り返しに陥ることも。。。

そのように過ごしていると、どうすれば愛されるのかわからなくなりますよね。

 

その頑張り、本当に必要?

 

だけど、ちょっと待ってください。

愛されるためには、努力をしなきゃいけないのでしょうか?

「こういう人が愛される」という条件は本当にあるのでしょうか?(愛されやすい人はいるかもしれませんが)。

 

例えば、赤ちゃん。

赤ちゃんは言葉をうまく発することも、器用に体を動かすこともできないですよね。

だから、赤ちゃんは他者に対して貢献することができません(逆に仕事や勉強をバリバリこなす赤ちゃんがいたら怖いです)。

立ち上がったり、歩いたりするために頑張ることはありますが、大人からしたらそれは何てことの無いことです。

 

でも、だからと言って

「赤ちゃんは愛されない存在だ!」

と決め付けられますか?

いや、たとえ出来ないことだらけの赤ちゃんでも、愛されないことなんてない。 むしろ家族はそんな赤ちゃんを応援します。

 

別の例でもいいです。

 

例えば寝たきりの人。

そういう人は仕事をしていないですし、誰かに介護してもらっています。

でも、だからと言って

「そんなヤツに価値は無い!誰がそんなヤツを愛するものか!」

と、なりますか?よほど性格が悪くない限り、又はよほど嫌いな人でない限り、そうは思わないでしょう。

むしろ、生きてくれているだけでもありがたいです。

 

まとめ

 

ちょっと例が極端でしたが、結局世の中は誰もが愛されるように設計されていると思うんですよ。

だから、

愛されるための努力をしても、嫌われることもあれば愛されることもある。

愛されるための努力をしなくても、嫌われることもあれば愛されることもある。

こうすれば愛されやすくなる、という方法はあるでしょうが、それをしてもしなくても結局みんな愛される資格を持っています。

 

なんだかんだで、誰もが愛される存在。

だから、愛されなくなることを恐れなくてもいいのかなと思います。